転載許諾を得た記事)原辰徳 (2022). 連載 サービスエクセレンス規格で目指す組織のレベルアップと事業革新 第1回 サービスエクセレンス入門. J-Club NEWS, Vol.29, No.2, pp.6-9.

「2022年は日本にとってのサービスエクセレンス元年」。私が最近の講演で度々口にしてきている言葉です。一方で、「元年という割には聞いたことがないぞ」という方も多いかも知れません。2021年6月にISO 23592とISO/TS 24082で示される“サービスエクセレンス規格”が発行され、同年11月にはJISも策定されました。これは、卓越した顧客体験の創出を通じてファンを増やすための優れた組織とサービスづくりに関する標準であり、顧客満足を実現してきた品質管理とサービスマネジメントの次の高みを目指すものです。2022年上半期には、規格解説書籍の発刊、様々な講習会・勉強会の開催、様々な講習会・勉強会の開催などの展開を見せています。

まず、経済産業省から出されたサービスエクセレンス規格のJIS公告をみてみましょう。

「いまやサービスは対人業に限らず、製造業であっても欠くことができません。本JISを活用して、顧客が“また利用したい”、“誰かにお勧めしたい”と感じるような製品やサービスを提供することで、市場での成功,組織の持続的な発展が期待できます。」

サービスエクセレンス規格は、製造業が手がけるサービス事業、広くは“製造業のサービス化”と“顧客志向”を推進する上でも大きな手助けとなります。また,ISO 9001をはじめとして、本誌読者の皆さんが取り組まれてれきた活動とも相性が良いはずです。顧客満足からカスタマーデライトなど、確かにマインドセットの切り替えが重要ですが、求められる日々の活動の多くは、そうした従来の取り組みをレベルアップさせた先にあるからです。

本連載では、サービスエクセレンス規格を利用して、組織のレベルアップと事業革新を行っていく上でのポイント(勘所)をお伝えしたいと思います。各回の内容は次を予定しています。第1回[i]と第2回では、できるだけ規格の内容(規定事項)に踏み込まず、その重要性をお伝えしていきたいと思います。

  • 第1回:サービスエクセレンス入門
  • 第2回:サービスエクセレンス規格のメッセージ
  • 第3回:ISO 23592(基本規格)の勘所
  • 第4回:ISO 23592(基本規格)の導入と実践
  • 第5回:ISO/TS 24082(設計規格)の勘所
  • 第6回:ISO/TS 24082(設計規格)の手法と事例
  • 第7回:ISO/TS 23686(測定規格)の勘所 第8回:企業事例(ISO/TR 7179など)

これからのサービスが目指すもの

近年、ビジネス環境の変化は目まぐるしく、顧客企業が提供者に期待することも変化し続けています。サービス事業は、製品売り切り型の事業と異なり、サービスを利用する中で顧客は価値を享受します。そのため、顧客のニーズに合うという顧客満足だけでなく、近年では、利用における総合的な体験の良さとして顧客体験(Customer experience: CX)も追求されてきました。一方で、CXといわれて久しく、顧客ニーズを満たし使い勝手が良い顧客体験の提供だけでは、他社との差別化は困難です。また、成熟した市場においては価格競争に陥る可能性もあります。そのため、他社の追随を許さないサービス事業の展開が求められる訳ですが、既存顧客と長期的な関係を構築する上で鍵となるのが、顧客ロイヤルティと呼ばれる、提供企業やサービスに対する顧客の愛着や信頼を反映したものです。近年では、ネットプロモータスコア(NPS)などで示される顧客ロイヤルティの指標を経営に用いる企業も増えています。

継続的な発展には何が必要か

顧客ロイヤルティが企業収益に与える影響は広く認識されるようになりましたが、一方で顧客ロイヤルティの獲得は容易ではなく、単純に顧客のニーズを満たせばよいというわけではありません。今、カスタマーデライトが、顧客ロイヤルティの獲得にむけて改めて注目されています。カスタマーデライト(Customer delight)とは、“とても大切にされている”あるいは“期待以上”という顧客の知覚から引き起こされる、うれしい、楽しいなどの様々なポジティブで快い感情です。カスタマーデライトは、再購買(継続利用)の誘発だけでなく、他者への推奨行動や口コミなども誘発し、提供企業との長期的な関係性に様々な影響を及ぼす、と言われています。また、「カスタマーデライトを達成できた」と提供者(社員/従業員)が認識できた時、提供者自身も喜びとやりがいを感じます。そのため、カスタマーデライトへの注目は、より顧客志向の企業活動と高いサービス品質の好循環も生み出します。

カスタマーデライトの実現には、「大切にされている/寄り添ってくれている」と顧客が感じるサービス、または顧客の期待を上回るサービスを提供できなければなりません。そのためには、これまでのサービスデザインのやり方に加えて、卓越した顧客体験をつくりだすための“新たな価値創造の考え方”が必要となります。さらには、そうした卓越した顧客体験の継続的な提供を可能とする組織としての卓越性も必要です。組織が取り組むべきことは、リーダシップと戦略、組織文化と人的資源、顧客体験と設計、運用力など多岐にわたります。

サービスエクセレンス規格と標準化

これらポイントの実現にむけて、サービスエクセレンス規格では、「組織としての底力を上げるのに必要な仕組みや企業文化などの組織能力」と「卓越した顧客体験の創出に関する設計活動」についての優れた取り組みと,それらに有効なツールやガイドを提供しています。また、設計活動では、提供者と顧客が一緒に価値を創り出すという、“価値共創”の概念も大切にしています。

サービス分野でのこうした標準化に対して、「優れた取り組みは個々の企業が独自の競争力を維持するためのもの」「顧客ごとにその都度対応するしかない」「品質を追求しすぎるとコストが高くなってしまう」などの理由から、疑問に感じる人もいるかもしれません。サービスエクセレンス規格は、組織能力のマネジメントと設計活動(デザイン)に関するハイレベルな推奨事項をまとめていることから、サービスの多様性や競争力を阻害するものでなく、各組織でサービスを磨き上げ、正当に評価していくための共通理解と目標です。同規格には、組織的取り組みを測る尺度や基準も含まれますが、結果に至る手続きが妥当ならば結果も妥当である、というプロセス標準の考え方に基づいており、画一化とは異なります。また、標準化には、企業間の取引の信頼を担保し、新市場の形成を担う役割もあります。技術革新により、サービスも国境を越えた展開や輸出入がなされるようになりましたが、日本の産業が“技術で勝って仕組みで負けた”とならないためにも、標準化の戦略的な活用が求められています。

欧州による推進と国内展開

欧州では2010年代に、卓越した顧客体験の創出を可能とするサービス提供組織の卓越性を“組織能力”として捉えたサービスエクセレンスの認知が産業界で大きく進み、様々な規格化がなされました。ドイツでは2011年にDIN SPEC 77224が発行され、2015年には欧州規格としてCEN/TS 16880が発行されました。活用事例としては例えば、ドイツの金融サービス会社TeamBankが、DIN SPEC 77224をモデルに用いてトップマネジメントによる組織変革に成功しました。彼らはサービスエクセレンスとカスタマーデライトが長期的なビジネスの成功にとって最も重要な指標であることを強調し、また「サービスエクセレンスによって、デジタルの未来と今後の競争の課題に向けて、よい出発点に立つことができた」と述べています。

そして、ドイツからの提案でサービスエクセレンスの国際標準を開発する専門委員会ISO/TC 312 “Excellence in service”が2017年に設置され、まず2021年に2規格の発行に至りました。他の規格開発も併行して進められており、本連載でも一部紹介していきます。サービスエクセレンス規格の特徴は、特定の分野に依らないサービス全般を対象に、サービスの裏方業務やインフラだけでなく、顧客との関わりも多く扱っている点です。サービスを対象とした標準・規格において、これに区分されるものは非常に少ないとされています。

JIS発行に至るまでの国内の議論では、サービスエクセレンスやカスタマーデライトについて「カタカナ語ではなく、大和言葉に訳してくれないか」という要望もありましたが、国際的な潮流であること、また元来の概念を失わないようにするという点から、そのままの形で国内普及を目指しています。

サービスエクセレンスピラミッド

サービスエクセレンスは、顧客満足からカスタマーデライトへの事業目標の転換を意味します。例えばフォルクスワーゲン・グループは、2016年6月に発表した経営戦略“Together−Strategy 2025”の中で、従来の経営戦略の目標にあった“顧客満足と品質で世界をリード”を、“わくわくした顧客”に置き換えました。これは、カスタマーデライトが含意する、顧客のポジティブな感情に注目した目標の質的転換を示したものといえるでしょう。日本生産性本部サービス産業生産性協議会による日本版顧客満足度指数(JCSI)の調査においても、満足度を中心とした6指標の他に感情指標(感動指標)の設問が設けられており、顧客満足とカスタマーデライトの概念が区別されています。

このように、「顧客満足の次のターゲットはカスタマーデライトだ」となりますが、その重要性の認識と実現との間には大きなギャップがあります。ISO/TC 312の議長の研究グループらが行った2016年の調査結果によれば、「デライトはとても重要」と認識する企業は70%を超えた一方、とてもよく実現できていると答えた企業は約10%でした。サービスエクセレンス規格は、このギャップを埋めるために必要なコンセプト、ツールおよびガイドラインを提供してくれます。

そのひとつが、次ページの図中央にあるサービスエクセレンスピラミッドと呼ばれるものです。サービスエクセレンスの位置づけを理解する上で、よく用いられます。図左側に、サービス提供者と顧客の立場での表現を付け加えました。また、“Go the extra mile”と”Add a personal touch”は、サービス提供者の姿勢を一言で表したものです。レベル1は顧客からの事前の期待に応える部分であり、図右側に示されるように、ISO 9001(品質マネジメントシステム)やISO/IEC 20000-1(ITサービスマネジメントシステム)などでこれまで扱われてきました。レベル2は、苦情に限らない顧客からのフィードバックの取り扱いに関する部分であり、ISO 10002(組織における苦情対応のための指針)などで扱われてきました。レベル1とレベル2はともに、顧客満足を確保するためのものといえます。これらを基盤として、サービスエクセレンスでは、新たなレベル3とレベル4の実現によってカスタマーデライトを目指します。視覚的にはレベル4が上位にありますが、レベル3とレベル4は並列と捉えた方がよいでしょう。レベル3「個別の優れたサービスの提供」がわかりづらいかもしれませんが、“個別”の原文はindividualで、図左の台詞にあるように、“一人一人に適した”と“人間的な温かみのある”という両方の意味が含まれ、度々述べた「とても大切にされている」に大きく関係している要素です。サービス品質因子の代表的なものとして知られるSERVQUALにある“共感性”の設問を満たすような内容といえます。また、レベル4「驚きのある優れたサービスの提供」は、デライトの直訳イメージにある感動・歓喜にも近いので理解しやすいと思いますが、驚きだけでは意味がありませんので、レベル3などを通じて得られるポジティブな感情を強化してくれる要素、と理解するのが良いでしょう。

このように,サービスエクセレンスピラミッドは,顧客満足とカスタマーデライトの違い,およびISO 9001とサービスエクセレンス規格の違い,の二点を,提供者と顧客それぞれの立場から大まかに理解する上で効果的です.

図 サービスエクセレンスピラミッドとその理解(JIS Y 23592を基に作成)

[i] 東京大学 総括プロジェクト機構 「QualityとHealthを基盤におくサービスエクセレンス社会システム工学」総括寄付講座が8月に公開した、サービスエクセレンス規格 入門ガイド ver.1を基にしています(https://sesse.u-tokyo.ac.jp/industry/)。